盆踊り
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2段式盆踊りやぐら。やぐらの上段は太鼓。下段の舞台と、やぐらの周囲は踊り(東京都中野区の杉山公園にて)盆踊りの一例(名古屋市港区にて)盆踊りの一例(多摩ニュータウン

盆踊り(ぼんおどり)は、日本において、の時期に先祖を供養する行事、またその行事内で行われる踊り[1]。起源については諸説ある。

仏教神道の影響を受けつつも世俗的な性格を強めていった盆踊りは、江戸時代初頭に絶頂を迎えるが、明治時代期には風紀を乱すとして警察による取締りの対象となった。

21世紀に入り、日本各地の盆踊りが重要無形民俗文化財ならびに選択無形民俗文化財の指定を受けている。その一方で、盆踊りは音楽の一ジャンルとして、ポピュラー音楽のなかで命脈を保っている。

盆踊りは日本国内にとどまらず、南北アメリカ太平洋地域東アジア東南アジアでも行われている。
概要

誰でも踊りに参加できるタイプと、主に見せるために限定された踊り手が踊るタイプとがある[2]。前者は、広場の中央にを立て、やぐらの周囲を回りながら音頭にあわせて踊る形式が一般的である。盆踊りの伴奏音楽としては多く音頭が奏でられる。近年は録音された音頭を電気的に再生して行うことが主流になっている。

歴史的には村落社会において娯楽と村の結束を強める機能的役割を果たした。そのため、各地にご当地音頭も多く存在し、自治体や商工会などが作成したオリジナルの地域的音頭も増えている。明治以前は歌垣などの風習に結びついていた。お盆の時期に行われるが、宗教的意味合いは薄く、農村や庶民の娯楽として楽しまれてきた[3]。江戸時代には盛況しすぎるため一揆につながらないよう、幕府が場所や時間を規制するほどであった[4]

明治政府は、男女が夜通し騒ぐ、女装男装するなどの行事は近代国家に相応しくないとして、1874年に盆踊り禁止令を出し[5]、20世紀初頭には存在しているのかさえ不明なほど衰退したが[4][6]、復活が叫ばれるようになり[7]大正末期から農村娯楽として奨励されはじめ、再び盛んになっていった[3]。もともと盆踊りがなかった土地でも新作して踊るところもあり[3]、町内会の祭り行事としてだけでなく、阿波踊りエイサーなど、一地方の盆踊りから全国に広まったものもある[2]

夏休みの間の大きなイベントの一つである。かつては夜通しで行われることも多かったが、近年は治安維持のため深夜まで行われることは少なくなっている。

20世紀に入ると、初音家太三郎を始めとした「音頭取り」と呼ばれる人々によって河内音頭の近代化・継承が行われるなどの動きも見られた[8]。21世紀に入ってからも音頭取りによる継承のほか、国内外各地の盆踊りの会や教室によって盆踊りの継承が図られている。

2020年2月19日文化審議会国連教育科学文化機関(ユネスコ)の無形文化遺産への登録を目指す国内候補に「風流踊(ふりゅうおどり)」を選んだ。盆踊りや念仏踊りなどとして伝承された23都府県の37件をまとめて一つの遺産とみなし、3月末までに政府がユネスコに申請書を提出。2022年11月ごろのユネスコ政府間委員会で登録可否が審査される見通し[9]
起源

盆踊りはもともとは仏教盂蘭盆会であるとする説[1]歌垣の遺風とする説、原始信仰の儀式だったとする説など諸説あるが、文献に最初に登場するのは室町時代と言われる[3]平安時代空也上人によって始められた踊念仏が、民間習俗と習合して念仏踊りとなり[10]盂蘭盆会の行事と結びつき、精霊を迎える、死者を供養するための行事として定着していった。死者の供養の意味合いを持っていた初期の盆踊りは、新盆を迎える家に人々が赴き、家の前で輪を作って踊り、家人は踊り手を御馳走でもてなした[10]。盆には死者が家に帰って来るという考え方から、頬被りをして人相を隠し、死者の生き返った姿に扮した人がその物語を演じたという[10]
盆踊りの風俗

踊り念仏は、鎌倉時代には一遍上人が全国に広めたが、一遍や同行の尼僧らは念仏で救済される喜びに衣服もはだけ激しく踊り狂い、法悦境へと庶民を巻き込んで大ブームを引き起こした[11]。それ以降は、宗教性よりも芸能に重点が置かれる念仏踊りが生み出され、人々はさらに華やかな衣装や、振り付け、道具、音楽などを競うようになった[11]室町時代の初めには、太鼓などをたたいて踊るようになったといわれている。現在も、初盆の供養を目的の盆踊りも地域によっては催されている。太鼓と「口説き」と呼ばれる唄に合わせて踊る。口説きは、地区の伝統でもある。初盆の家を各戸を回って踊る所もある。昔は旧暦の7月15日に行われていた。ゆえに、盆踊りはいつも満月であった。

鎌倉時代以降、経済力や自治力を得た民衆により新奇な趣向が次々に考案され、江戸時代初頭には絶頂を極めることになる。江戸では7月に始まり連日踊り明かしながら10月にまで続いた。次第に盆踊りは性の解放のエネルギーと結びついていく。日本では性は神聖なものとされ、神社の祭礼を始めとし、念仏講、御詠歌講など世俗的宗教行事の中心に非日常的な聖なる性があるべきと考えられるようになり、盆踊りは性の開放エネルギーを原動力に性的色彩を帯びるようになる。明治時代にはしばしば風紀を乱すとして警察の取締りの対象となって一時は激減していた。盆踊りは未婚の男女の出会いの場にとどまらず、既婚者らの一時的な肉体関係をもつきっかけの場をも提供していた。ざこ寝という、男女が一堂に泊まり込み乱交を行う風習も起こり、盆踊りとも結びつき広まり、ざこ寝堂はほとんど全国の農村には存在した。これは昭和時代に至っても続いていた[11]

出雲阿国による一風変わった男装の念仏踊り歌舞伎踊りと言われた(歌舞伎のかぶくとは、「常識外れ」や「異様な風体」と言う意味)[要出典]。以後、歌舞伎など様々な芸能へと派生していったが、歌舞伎も売春を伴い幕府より厳しく取り締まりを受けていたことから鑑み、盆踊りに限定されず芸能全般に性が結びついた江戸文化風俗の一端と言える[12]
衣装竹久夢二の絵「盆おどり」(1921年)。

伝統的には、やぐらの上の太鼓方、音頭取りならびに踊り子は浴衣を着用することが多いが、一般参加者はカジュアルな平服でも良い。踊り手が同じグループである場合、揃いの浴衣を着ることが多い。また、団扇を背中のに差し込んでおくこともある。男性は、鉢巻をし、腰に印籠をぶら下げて踊ることもある。

地方によっては、狐などの仮面をつけて踊る場合や、舞台化粧並の厚化粧をして華やかな衣装で踊る場合がある。
その他

俳句では「踊」だけで「盆踊り」を指し秋の季語である。夏に行われるにもかかわらず秋の季語であるのは、立秋を過ぎてから行われるためである。

最近では、2010年から名古屋で開催されている「スリラー盆踊り」が東京に伝わって催されるなど、新しいスタイルの盆踊りも注目されている。

愛知県東海市大田町には参加者にイヤホンの付いた携帯ラジオを貸し出して行われる無音盆踊りがある。参加者はイヤホンで音楽を聴いて踊るため、周囲からは無音で踊っているように見える。

東京都八丈島ではフォークダンスの「マイム・マイム」を踊り、末吉地区におけるバンドの電子演奏による速いリズムの「高速マイム・マイム」が特に有名であり観光客も参加している[13]


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